青春日記~塾長、田舎の進学校(高校)に入学する編~
みなさん、こんにちは。
柴又ゼミナール一講師です。
今回は塾長の高校時代についての話を書きたいと思います。
塾長の出身地は栃木県ですが、もっと言うと栃木の北の方です。
ある時、一講師は尋ねました。
一講師 「塾長の高校時代はどんな感じだったのですか?」
塾 長 「うん、高校時代はほぼブービー賞だったね。」
一講師 「・・?」
塾 長 「つまり、200回以上打ったということ!!」
一講師 「・・・・・?」
塾 長 「だから、OB・バンカー・スライス・ダフリの連続、おまけに池ポチャ。」
一講師 「・・・・・・・・・?」
ちょっとよくわからないので、これから塾長から聞いた高校時代について詳しく書きたいと思います。
田舎育ちで栃木訛りが抜けない塾長ですが、少年時代はそんな田舎で育ち、中学時代は上位の成績だったので、地元の進学校と呼ばれる「〇〇〇高校」に合格したそうです。
(※進学校とは大学を目指す高校のことですね。)ただし、田舎の高校なので
「関係者が勝手に自称で「進学校」と呼んでいるだけ」(塾長談)だそうです。
塾長の高校での実績は下記の通りです。
成績の順位は、270人中267番(以下2名は不登校または行方不明)、
高校の定期試験では20点以上の点数を見たことがない、
化学の成績は、3(10段階評価で!!)、
保護者面談時に担任から「この成績じゃ、地球が反対回りになっても大学なんて行けませんよ!!」と言われ母親がうなだれながら帰って来た。
卒業と同時に母親が成績表を廃棄した。
などなど、実はまだまだあるのですがこれ以上のことは塾長のお気持ちを鑑み割愛します。
つまり高校時代の塾長は学校から見ると「絵に描いたような落ちこぼれ」、親から見ると「不肖の息子」といったところでしょうか。このことを遠回しに分かりにくい表現するのは「塾長のプライド」かも知れませんね。
ただし、塾長にも「言い分」があるようでその「言い分」を次の機会に書きたいと思います。以下は対話のやりとりの一部です。
塾長「高校時代の状況はなるべくしてなったんだ。真面目で素直な性格が幸いした。」
講師「???」
塾長「要するに世間知らずの純粋な坊やだった。高校の教師からしたらいいカモだった・・・〈続く〉」